用語

テレビをつけていたら、岡山の小3女児殺害事件の告別式の模様が流れていた。
事件当時の父親へのインタビューも流れていて、そこで気付いたことがあった。
父親は「妻は半狂乱になって〜」のようなことを言っていた時に、テロップでは
「取り乱していて〜」と表現していた。
確か「狂う」という表現を媒体で使っちゃいけなくなったんだっけかと
思いながら、なんでそういう応急処置ばっかりするんだろうなと改めて考えた。


差別用語というものがある。
目が見えない人、耳が聞こえない人、口がきけない人。
その他色々な障害に対して使う昔からの病名が改められる度に、いつも思う。
どうして病名を変えればそれで済むと思っているのだろうか。


そもそも、最初から差別用語として生み出された言葉なのかどうかも怪しい。
容態や状況を表す言葉として生み出されたのは確かだろうが、それが
差別的な意味合いを含んだ言葉を組み合わせた新語だったのかどうか。
ちょっと検索かけてみた分にははっきりしたことは分からなかったが
差別されていると感じた人が差別用語だと認定した時点で、どんな言葉でも
差別用語になりうると感じた。


そうなると、単純に改名すればいい話ではない。
認知障害」などはしっかりとした病名に見えるが、これを敢えてカタカナで
書いてみると「ニンチ」となり、なんとなく差別用語っぽく見える。
それをさらに言葉で吐き捨てるように言ってみると、おそらく受け取った側は
差別されてると感じてしまう。
ハンセン病」もそうだが、「ハンセン〜ハンセン〜」とからかうように
言い続けてみたら、多分そのうち差別用語として認定される気がする。
ちゃんとした病名でも、こんな言い方されたら絶対気分悪いはずだから。


言葉なんて発音と抑揚、表情次第で幾らでも意味合いを変えられるのに
そのことを言う側、言われる側ともに認識して思いやりを持ちましょうという
教育・指導がほとんど見受けられないのはどうしてだろう。
そう教えられて初めて「あ、差別用語なんだ」と思うくらい、ごく普通の用語が
数々認定されてきている。
たとえば、中学生を指す「中坊」を変換したもので、主に子供っぽい人に対して
使われる「厨房」という用語があるが、これもそのうち立派な差別用語として
認定されるのではと踏んでいる。
略されて「〜厨」という表現もあるので、「厨」という文字自体までが
差別用語として認定されかねない。


結局は差別している側の意識と差別されてると感じる側の意識両方を改善しないと
いつまで経ってもいたちごっこなのは一目瞭然。
病名、特に差別的に使われているものが改名されると新聞やニュースで報道されるが
そこだけピックアップされるので、知らなくてよかったはずの用語を知ることで
逆に差別が増長される気がしてならない。


鬱病」もなんとなくやばそうな匂い。
「うっつー」とか言ってみたら、なんとなく新しい用語の誕生。
なんでもひらがなカタカナにしてみて、適当に伸ばしたりしたら幾らでも
それっぽいのができてしまうのはどうしたものか。
もちろん、そういう表現を使って見下す人が一番悪い。